福沢諭吉(大泉洋)「学校がつまんないんやない。お前がつまらんのや。」
この言葉は、実際は大泉洋さんが、ラジオパーソナリティをされているとき、リスナーからのハガキに応えて言った言葉だそうです。何故、関西弁か?は特に理由はありません。(笑)
大泉洋さん、素敵な方ですよね。コミカルなキャラクターでありながら、どこか大人の芯を感じさせて、わたしは好きです。
んで、何故?福沢諭吉翁かということ、この大泉洋さんの発言自体は、お前が面白くなって学校を面白くしろ!といった意味で捉えられているようですが、実はもっと深いものを感じました。
「この人民にして、この国家あり。(この程度の国民には、その程度に見合った国が与えられている。)」
国家を会社でも、学校でも、さらには世の中でも、家庭でも、読み替えられると思います。これが福沢諭吉翁の言葉です。
ちょっと主張してみます。(笑)
国家=政治だとすれば、例えば、韓国の政治を日本はバカに出来るほど高度でもなんでもない。日本を嫌悪するパフォーマンスで政権を維持するのと、減税や福祉やなんでも良いんですが、飴と鞭の飴を少しでも多く引き出そうとするポピュリズムを望む国民とは、そんなに差がないような気がします。
福沢諭吉翁の、もっと有名な名言に「国を支えて国に頼らず。」というのがありますが、わたしは、結局のところ、わたしが望む世の中が、既に与えられているのだ、と思っています。たとえば、大泉洋さんのリスナーの方は、学校とはついてつまらないものだと、決めているということ…。
世の中が、美しいか醜いか?清浄なのか汚濁にまみれているのか?は、自分の中で決めている。汚濁にまみれた世の中が先にあって、自分が汚濁を感じているのではなく、汚れにまみれた自分の心が先にある。
レンタルビデオ屋さんで、ファンタジーを借りるのか?ホラーか恋愛ものか?。既に、何を観るのか?決めるように、世界をそう感じるように決めている…。
学校を面白くするために、貴方が何を面白いと感じるのか?そのコトを問うて、貴方自身を変えなさい。
わたしは、福沢諭吉翁の言葉は、そういう言葉だと思っています。あるいは、そう思いたいわたしを大切にしたい。
ブログに書くたわいのない言葉も、批判ではなく、批評の精神があるように…。
同じ批判にさらされる覚悟があるから、という幼稚な理由で、なんでも言って良いのなら、自己愛が無駄に肥大した声が大きい人間ばかりが発言する世の中になってしまう…。
わたしは、世の中をわたしにとって素敵なものだと感じたい。
なんだか、とりとめもないですが…。^_^
今日も、来てくださって、ありがとうございます。