名前という呪縛。「わたしは何者か?」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
わたしのブログの、九尾【coconoo】というニックネーム?名前なんですが、
本当の本名からの連想で作りました。
本名は九胴とか九頭竜とかそんな苗字です。あまり書くとばれてしまうかもしれませんが…、とても珍しいようで、わたしは今まで親戚以外で同じ苗字の方にあったことがありません。
ですので、九尾のお狐様とはまったく関係がなく、わたし自身霊感もなければ、もちろん妖力もありません。
逆に下の名前は、ごくごく一般的な名前です・
タイトルが恐ろしげですが、名前というのは祝福であり、呪縛でもあると思っています。
今流行のキラキラネームも、どう読むのかさえわからない方が増えましたよね。
キラキラネームでなくても、親が「こうあってほしい、こうなってほしい、誰とも違ってほしい…。」そんな願いが名前から汲み取れます。その思いは、祝福でもあり、呪縛でもある。
わたしの下の名前は「他の人も安らかに」との願いがこめられた名前で、子供心に素敵な名前だと思い、思春期にはそんな思いから遠く離れた性格だと思い、今はその名前に恥じないようにと…考えています。
苗字のほうはどうしようもない、というか、少し前までは一般人は姓を持たず、武士にとっては、自分より大切な家名でした。
その感覚は今はないけれど、これも一生ついてくる祝福であり呪縛なんでしょう。
話は急に変わりますが、わたしが死んで、閻魔様か神様の前に引き出されたとき、「お前は誰だ?」と問われたら、なんと答えるべきか、今から悩みます。
名前はまず、名乗りそうです。
次は?職業?お勤めの会社?…合コンの自己紹介じゃないんだから(笑)
出自?家系?…そんなりっぱなものはないけれど、家族のこと?。
今まで犯した罪?達成した偉業?(あれば…?)それとも病歴のほうがしっくりくる。
考えていること?世界観?(そんな体したものはない。)
「わたしは何者なのだ?」
今まで途切れず続いてきた苗字。(わたしで途切れなければ良いが…名前は親から受けつながれた大切なものなんだなぁ。)
そして下の名前も…、とオリンピックの日本の選手に、名前を読めない方が多くいらして、考えてしまいました。
(俗に言うキラキラネームを批判するものではありません。名前負けしないでがんばって凄いな。と思っただけです。)
今日も、来てくださって、ありがとうございます。