ベルサイユの薔薇。「薔薇は薔薇は〜^_^。」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
先週末、少し寒くなって、「よし鍋だ。」と、
(寒いと、また楽しようとして〜♪。とか脳内わたしに言われない。)
スーパーで買い物をしていた時、なぜか同じ唄が頭から離れない。
「ふんふん〜。」と鼻唄を歌いながら、ネギに白菜、鶏肉お豆腐、うどんと生姜をカゴに入れていました。
ウチのお鍋は昆布だしをとって、すった生姜を薬味に醤油で食べます。
その時、頭で鳴っていた唄が、昭和アニメの「ベルサイユの薔薇」。
(←何故だ?セーラームーンじゃないのか?)
わたしは生放送ではなく、何回目かの再放送で見ていたクチですが‥。
思い返すと、これ凄い歌詞だなぁ〜。
歌詞をそのまま書けないので、以下わたしの意訳です。
あなたたちのように、野っ原の草むらに咲く名もない花なら
風にただ揺れていればいいんだろうけど、
わたしは薔薇としての運命に生まれたから、そんなわけにはいかなくて
気高く咲いて、美しく散らなければならないのよ。
当時はPTAとか教育委員会とか、なかったんだろうか?(笑)
子供のころは、大声で歌っていたけれど…。
話は変わりますが、
女の子と云うのは、 案外早い時期に(小学生くらいに)
自分は「可愛くも、美しくもないのだ…。」と気づきます。
両親やおじいちゃんおばあちゃん、が言ってくれた「可愛い」は
嘘ではないけれど、意味が違うのだと…。
クラスで可愛い子、3番目くらいまでは「やはり自分は可愛いのだ。」と
あらぬ自信を持って、あらぬ方向にスクスクと成長するわけですが…。
そのほか大勢の大部分は、そこで人生2度目の挫折を味わい現実を知る。
(1度目は「自分は男ではない。男の欠損として生まれた。」という挫折。)
そのころの男の子に較べて、女の子の方が精神年齢がおしなべて高いのは
そんなところも影響しているように思えます。
また一方、飛びぬけて「美しい」女の子。
学校で一番とかになると、逆に異物扱いされ、スポイルされ、その後の人格形成に大きな影響を及ぼします。
ここのところ、ジェンダー論的なお話がなぜか多くなりました。
女性は男性の一部が「欠損」したものとして生まれ、その絶望から自ら女になる。
女の子は「難しい」のです。
学生時代に発達心理学とか、少しかじった程度ですので
まったく、個人的な一方的な意見としてみていただければ…。
鍋は美味しくできました。
今日も、来てくださって、ありがとうございます。