coconoo doll

素敵な大人になりたいものだ。 coconoo doll は、球体関節人形の制作日記です。あと、ガーデニング DIY エンタメも少し。

ベルサイユの薔薇。「薔薇は薔薇は〜^_^。」

里山の人形師  coconooです。

こんにちは。

 

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先週末、少し寒くなって、「よし鍋だ。」と、

(寒いと、また楽しようとして〜♪。とか脳内わたしに言われない。)

 

スーパーで買い物をしていた時、なぜか同じ唄が頭から離れない。

「ふんふん〜。」と鼻唄を歌いながら、ネギに白菜、鶏肉お豆腐、うどんと生姜をカゴに入れていました。

ウチのお鍋は昆布だしをとって、すった生姜を薬味に醤油で食べます。

 

その時、頭で鳴っていた唄が、昭和アニメの「ベルサイユの薔薇」。

(←何故だ?セーラームーンじゃないのか?)

 

わたしは生放送ではなく、何回目かの再放送で見ていたクチですが‥。

思い返すと、これ凄い歌詞だなぁ〜。

歌詞をそのまま書けないので、以下わたしの意訳です。

 

あなたたちのように、野っ原の草むらに咲く名もない花なら

風にただ揺れていればいいんだろうけど、

わたしは薔薇としての運命に生まれたから、そんなわけにはいかなくて

気高く咲いて、美しく散らなければならないのよ。

 

youtu.be

当時はPTAとか教育委員会とか、なかったんだろうか?(笑)

子供のころは、大声で歌っていたけれど…。

 

話は変わりますが、

女の子と云うのは、 案外早い時期に(小学生くらいに)

自分は「可愛くも、美しくもないのだ…。」と気づきます。

両親やおじいちゃんおばあちゃん、が言ってくれた「可愛い」は

嘘ではないけれど、意味が違うのだと…。

クラスで可愛い子、3番目くらいまでは「やはり自分は可愛いのだ。」と

あらぬ自信を持って、あらぬ方向にスクスクと成長するわけですが…。

 そのほか大勢の大部分は、そこで人生2度目の挫折を味わい現実を知る。

(1度目は「自分は男ではない。男の欠損として生まれた。」という挫折。)

そのころの男の子に較べて、女の子の方が精神年齢がおしなべて高いのは

そんなところも影響しているように思えます。

また一方、飛びぬけて「美しい」女の子。

学校で一番とかになると、逆に異物扱いされ、スポイルされ、その後の人格形成に大きな影響を及ぼします。

 

ここのところ、ジェンダー論的なお話がなぜか多くなりました。

女性は男性の一部が「欠損」したものとして生まれ、その絶望から自ら女になる。

女の子は「難しい」のです。

www.coconoodollblog.net

学生時代に発達心理学とか、少しかじった程度ですので

まったく、個人的な一方的な意見としてみていただければ…。

 

鍋は美味しくできました。

 

 

今日も、来てくださって、ありがとうございます。