キラキラネームは60歳から?「九尾ココアと申します。」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
このところ、スポーツでもニュースでも、一昔前なら「キラキラネーム」と言われるような、名前を見かけるようになりました。
先日のドラフト会議でもそう…。
いつか、あたりまえになるのかしら?
テレビに出る彼らは、現時点での成功者であり、口を利くことを許されているけれど…。
キラキラネームから見える、「特別であって欲しい。一番であって欲しい。」
という名付け親の欲は、愛情なのだろうけれど、あまり欲張りすぎては子供には負担だろう。
と、思ってしまう。
大きなお世話なのだろうけれど…、
親が自分の子供だからといって、何でも自由にして良い訳はない。
これからの子供の運命を、親は与えることができない。
(そうは思わない、「成功した、もしくは挫折した親」は多いのだろうが。)
「祈り」に似たことしかできない。と思う。
子供もいない私が偉そうなのは承知ですが…。
まったく違う話。
わたしは、学生のころ「自閉症」に惹かれて、独学で勉強していました。
(ゼミでは専攻していましたが、本来の学部からはおよそ畑違い。)
高機能自閉症は、当時後天的器質外の疾病だと考えられていました。
つまり、母親のコミュニケーションや愛情に問題があったのではないか?と
レオ・カナー ブルーノ・ベッテルハイム…。
わたしも専門書や研究文献にある、自閉症児との感動の回復記録を読み漁りました。
他者とコミュニケーションが取れない、外見は利発そうな子供たち。
コンセントにつないだ電線を手に持っていないと動けない子供。
部屋の家具やモノが1mmでも動いていると、立ちすくんでしまう子供。
天才的な数学的記憶力を持ちながら、他者の気持ちを理解できない子供。
映画レインマンでダスティン・ホフマンが、サヴァン症候群を演じてられました。
学術的にはサヴァン症候群は自閉症ではない、とする考え方もありますが、すごい演技力だと思いました。
わたしはその「子供の物語」に夢中になり、回復してゆくさまに惹かれていました。
わたしはその「物語」の 魅力に取り憑かれ、分かった気になっていました。
しかし、母親に問題があるとする考え方は、今では、全否定されて器質内疾患とされています。ただ、自閉症スペクトラムと称して、領域が広くなりましたが…。
「母親とはこうあるべき」「愛情とはこうあらわすべき」「育て方が悪かった」
当時、子供に自閉症児を持った母親には地獄だったことでしょう。
アカの他人が、その母親の愛情のあり方に、障害児を不憫なものだと決めつけたり、勝手に「自分の物語」を押し付けては、ならないのだと思います。
医者や教育者であればなおさら…。
わたしたちは、自分が経験していないことに「自分の物語」や「社会的な物語」を当てはめて、とりあえず安心しようとします。
取り敢えず、「物語の題名」貼っとけ!みたいな感じです。
凶悪な事件、経験していない病気、他人の家族関係、子供の立場等々
そこで「思考」を止めるものは、何も言ってはいけない。
他人(同じ境遇であったとしても)には、嫌悪をもってしても、愛情をもってしてもなれないことだけは謙虚に受け入れなければならない。
少しでも、共感いただけたなら、こちらの記事も読んでください。
その、想像力の可能性だけを大切にしたい。
また、個人的な勝手な雑感です。
でもこのごろ、いろんな決め付けでいろんなことを終わらせていて、
不快なことが多い。
でも、自分だけのことではない時は怒らなければ…。
「心の闇」とか言って、何が分かって、何が解決するんだろう。
キラキラネームから凄く遠くまで来ましたが…。(笑)
60歳を過ぎたら、(別に60歳に理由はない。定年くらいの年齢。)セカンドネームが自由につけられるというのは、面白そうだ。
わたしなら、九尾・心愛・〇子【ココノオ ココア 〇コ】とか、どうだろう?
仕事を終えて、第二の人生が華やかそうだ。
(本当に心愛さんがいたらごめんなさい。可愛いいだろうと思って…他意はありません。)
いかがでしょう?
今日も、来てくださって、ありがとうございます。