いまだ、路上の窓拭きのいない国で。「国立競技場の迅速な撤収は、それはそれは見事だった。」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
(写真は、以前撮った、子供の人形頭部と小鳥のデッサンです。)
数日前、(12/4 ) わたしは
本当は、今日はイタリアとオーストリアの選挙のことを、結果が出る前に、書こうと思っていたのですが、それはまたいづれ…。
と、書きました。その続き。
全世界的に「グローバリズムの終焉」が始まっている。
すべてがフラットな世界は
国家には支えられないものになっている。
しかし、その反動であるアンチグローバリズムは、緩やかな共生ではなくて、日本なら幕藩体制復活(←わたしが言った。)でもなく、近しい人たちへの憎悪という形を取ってしまいました。
右翼がダメだとかではなく、アメリカでもそうですが、手近な敵を作り出し、(移民や高所得者層)そこへの攻撃によって、民衆の賛同と政策上の失敗を誤魔化そうとしている。
今までの「全否定」、極部への攻撃、破壊からしか新たなものは生まれない、という思想は危険な気がします。
今、自分が不幸だからと言って、全てをゲームのようにゼロクリアしてしまう。
日本もそうならなければいいのですが…。
と、書きました。
残念ながら、日本はブレーキとアクセルを践み間違えた老人のように、グローバル資本主義へ突進しているように見えます。
世界中が今、立ち止まろうとし、ブレーキが効かず慌てている状況で、日本だけはアクセルを踏み込んでいる。
日本の今の敵は、公務員ですか?
企業と癒着した政権ですか?そんな大企業ですか?
年金を十分に貰っている高齢者ですか?
どこかで甘い汁を吸っている隣人ですか?
私達は、もっと冷静に、妬みや嫉みを棄てて、
「立ち止まって」周りを見渡した方がいい。
今こうなっているのは、合理的な理由があることでしょう。
そのことが悪だと言って、全否定から始めるのではなく、社会的な構造の問題として、まずはゆっくりブレーキを踏みましょう。
「成長」のために、わたしたちが何を犠牲にしたのか?
そのことを考えながら…。
下の記事は、また違う論点で書きました。
そんなことを書きながら、思い出した「風景」があります。
オリンピックのために建て替えられることになった「国立競技場」。
わたしは建て替えることをどうこう言うつもりはないのですが……。
(土建政治にだって、いい面はあった。
わたしは小池知事を応援する立場だけれども、金は使うほど良い政治家。に対しては、200億削減しました。では、論議にならないのだ。)
新しい国立競技場の建築費やデザインの問題が、
まだまだ社会的な問題として前景化する前に、
あっという間に、びつくりする程早く、古い競技場は綺麗さっぱりなくなった。
それは、本当に見事と言う他ない手際の良さだった。
まるで、バレていない悪事を隠蔽するかのように……。
未だに、路上でクルマの窓拭きで物乞いする人のいない国で、
……。
今が最後のチャンスな気がします。
これもまた、どこかで誰かが言っていたかもしれないことですが…。
わたしの、一個人の意見です。
今日も、来てくださって、ありがとうございました。