宗教も政治も持たない国で。遠藤周作 1/21公開「沈黙」神はなぜ?黙っておいでなのか?
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
今、マーティン・スコセッシ監督が
狐狸庵先生こと、遠藤周作の「沈黙」を、撮っているそうだ。
これは観なければ…。
自身がクリスチャンなのですが、
この「沈黙」は、わたしにとっても、衝撃でした。
踏み絵で、キリスト教徒を弾圧する幕府。
棄教徒たちを、責めるキリスト教。
以下は、
わたしの心の師 内田樹先生の言葉です。
レヴィナスの他者論は、ホロコーストの後、ヨーロッパのユダヤ人たちが、「神に見捨てられた」と思い込んで信仰に背を向けようとしているとき、彼らを信仰に引き留めるために錬成されたものである。
神はその民を救うためにいかなる天上的な介入もされなかった。
それを「神の不在」だとみなして、棄教の誘惑に屈しかけた同宗者たちに向かって、レヴィナスはこう語った。
ホロコーストは人間が人間に対して犯した罪である。
神は、人間が神に対して犯した罪は赦すことができるが、人間が人間に対して犯した罪をとりなすことはできない。
それは人間の仕事である。
自分たちの住む世界を人間的なものにするのは人間の仕事である。
もし、神が人間に代わって世界に整序をもたらし、手際よく悪を罰し、善に報いたら、人間は無能な幼児のままでよいことになってしまう。
神が完全に支配する世界で人間は倫理的である必要がない。
倫理的であるとはどういうことかを思量する必要さえない。
神が人間に代わってすべてを整えてくれるからである。
神なしでは何もできない人間を創造することが神のめざしたことだったのだろうか。
もし神がその名にふさわしい威徳を備えているなら、神は神の支援抜きでこの世界を人間的なものたらしめるだけ霊的に成熟した人間を創造されたはずである。
内田樹の研究室 ブログ
「林 聖焌 先生のこと」から
2012.12.26.
(内田先生は、日頃から、引用を赦す立場にある。と、おっしゃっています。ので、これも大丈夫でしょうか?)
わたしは、この文章を読んだとき
レヴィナスが、体感としてわかった気がして、身が震え、号泣してしまいました。
人類は、共感性を失わないまま、ここまで高度で、硬度な思想を得ることができるのだと……。
先生はこの前段で…。
『レヴィナスと愛の現象学』と『他者と死者』を読んで、朴先生はおそらく「信仰の支援ぬきで、イデオロギーの支援抜きで、倫理的に生きるための規矩」をレヴィナスのうちに求めている年下の日本人研究者に何か共感するものを覚えたのではないかと思う。
宗教も政治もない国で
いかに倫理的に生きるのか?
ひとは生きられるのか?
わたしの問いでもある…。
この知的にも荒廃した、辺境の地、日本で
だからこそ、今、全世界に問えるような思想が生まれることを
望んでいます。
今日も、来てくださって、ありがとうございます。