お金と結婚と家族。
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
先日、お金の話から地域社会、ひとのつながりといったテーマでブログを書いたのですが…
LIUさんから、面白いコメントをもらったことをきっかけに、またちょっと考えたので書いて見ます。
LIUさんのブログは、アラフィフ主婦の視点で毎日の出来事、ファッションや買い物のことを、とても楽しく綴っておられて、わたしも読者にならせていただいています。
一文無しになったら隣近所に頼って暮らしたい。というわたしにLIUさんのコメントは
「迷惑をかけてはいけない!って世の中ですよね。お互い様なのだから、いいのにねえと思います。」というものでした。
わたしは「そうなんだよなぁ~。礼節や恥が文化の国だものなぁ。」と感じました。
で、そこからいつものように、わたしの思考は飛躍するんですが、考えてみれば、核家族化、大人になったら家を出て一人前、仕事が一番働く女性は美しい、こんな価値観は全て、戦後高度成長期に生まれたものだ。
生まれたというより、D通やMハウスによって作られたものだ。
わたしは、いつか「an an」や「クロワッサン」なんかの女性雑誌で、
「夫婦別姓は当たり前。住む場所も分けて、気の合うときに会うのが、これからの独立した大人の結婚のカタチ。」とか言い出しても、ちっとも驚かない。
だって、TVが洗濯機が2倍売れるんだもの…。
生計を立てて一人でも生きてゆくことは大切だけれど、それと実家を出ることはイコールじゃないと思います。
「さあ、憧れの一人暮らし。大人の階段への一歩に欠かせないアイテムはこれ!」
人間、大家族に居ても大人にはなれる。
「年収・身長・学歴…。貴女に見合う3高男性の見分け方。」
結婚のハードルを無限に上げてどうするんだろう…。
今でこそ、そんなタイトルはなくなったけれど、ここまで日本を個人主義、自己責任に追い込んで、今になって「ひとりで親を看取る心構えとやらなきゃいけない準備。」は無いだろう。(怒)
時代の価値観というのは、いつの間にか当たり前になってゆくけれど、その多くは作られたものが多いような気がします。
家族のカタチ、結婚のこと、両親との関係、自分の中のこうありたいは、本当に自分が考えたことなんだろうか?
その先の地域社会、それはまた次の機会に…^_^。
今日も、来てくださって、ありがとうございます。