お淑やかなわたし…^_^。「師弟とは?」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
昨日は、ちょっと勘違いのハンサム馬鹿な記事になってしまいましたので、今日はお淑やか(おほほほほ〜笑)な感じで…。
昨日は、小雨もありましたが、気温がそんなに上がらず楽でした。
せっかくなので、一日中庭の雑草を抜いていたのですが…
庭の芙蓉や紫式部が盛りで、綺麗だったので、生けてみました。
この季節は、篭いけが常識ですが…、敢えて秋の風情で、錆びた鉄瓶に。
まぁまぁ上手くいったと思っているんですが、写真がどうしようもない…^_^。
わたしは以前、華道家の栗崎昇先生に茶花を習っていたことがあります。
とても素敵な先生で、毎回最後にその教室の優秀な生花を茶室に飾って、薄茶をいただきます。わたし以外は、大体なんというか?堂々たる60代70代位の迫力のある働く奥様方でした。
大きな旅館の女将、有名な京都の料亭の女将、料理研究家の第一人者、女優さん…。
わたしのような一般の人も勿論いるのですが…錚々たるメンバーで、何時も緊張していました。ほぼ最年少で可愛がっていただきましたが…。
先生にはよく「それでは、お花が可哀相…。」と言って、手直ししていただきました。
習い事というのはいいですよね。
誰かを先生と決めて、いろんなことを教えていただく。
わたしが先生と決めたら、その方は先生なんです。
世の中、その逆だと思っている方が多いようですが…、偉い先生が先にまずいて、そこに弟子が集まる。
そうではなくて、弟子が先生を先生として発見するのだと、わたしは思っています。
何かを学ぶということは、そういうことでしか学べない。
これは、わたしの心の師 内田樹先生もおっしゃっていて、
ある中国の故事を引いて、説明されていました。
(原本を探したのですが、見つけられず、うろ覚えですが…)
中国に有名な哲学?の先生がいた。その元へ、地域では聡明で有名な男が弟子入りを申し入れると、すんなり受け入れられる。
しかし、先生は何日経てども何も教えてくれない。
ある日、先生が馬に乗って出かけるのに、お付きとして従うと、ある通りで片方の靴が脱げて落としてしまう。
弟子の男は、靴を拾い上げ履かせてやる。
翌日も男はお付きとして従うと、同じ通りで片方の靴が脱げ落ちてしまう。
男は、もしかしてこの先生、ボケているんじゃ…と思って履かせると、もう片方の靴も脱げて落ちる。
その瞬間、「わかりました!」男はひれ伏し、師に許しを請う。
物語はこれだけ。
中学か高校の教科書にも、載っていた記憶がありますが、そのときの先生の解説は、歯切れが悪く、ごにょごにょ言っていただけのような…。
わたしも、その時さっぱり意味がわからなかったのですが…。(笑)
わたしのブログの読者の方に、84歳でクリスチャンの、既にご主人を亡くされた奥様がいらっしゃいます。
毎日の出来事をとつとつとお書きになっているのですが、それが凄く素敵な文章。脅かしてやろうとか、大きく見せようとか、無理やり楽しませようとか、そんなところが全然なくて、その方を包む空気や生活が伝わってくる。
わたしの読者は、高齢の方が多い。二まわり上の方も珍しくない。
みなさん素敵な大人の方が多くて、ブログ始めてよかったっと思っています。
「ちゃんとした大人になりたいものだ。」は、このブログをはじめて、しばらくしてからの、わたしのスローガンですが、その師(大人の見本)の方は、たくさん既にここにいる。
わたしが師と決めたら、その人は既に師なのだ。
そして、本来なら出会えなかった人に出会える、インターネットの凄く良いところだ。
大人や親や学校の先生を馬鹿にし、美容師や漫才師を目指したとたん、実力もない先輩を師匠にする。(笑)
それはそれで、人生遅ればせながらの幸いではあるけれど、もっとはじめから眼が開いて、オープンマインドであれば、もっと早く師に出会える。
全然、違う話ですが、昨日わたしの読者になってくださった方のブログで、他の方のページとリンクさせると「互助会だ」と非難されるそうです。
わたしは、最初なにを言っているのかさっぱりわからなかった…。
読んでいてだんだん意味がわかり、腹立たしくなったのですが、ネットを市場だと捉えるのは個人の勝手だが、人に押し付けるな。(怒)
これ以上書くと「大人とは何ぞや?」と、説教くさい話になるので、
それはまた、次の機会に。(笑)
今日も、来てくださって、ありがとうございます。