神のいない国に生まれて。「お金が宗教の国で。1」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
写真は、もう去年の夏になるのですが、練馬区立美術館に、舟越保武さんの彫刻を見に行った時、展示されていたキリストのデッサンに感動したわたしが、目録の小さな写真から模写したものです。
久しぶりに木炭で描いて、わたし的には、気に入って飾っているのですが…。
「下流社会」
既に、11年前の本です。
これも久しぶりに読み返してみると、先見性の高い内容でありながら、既に世の中の搾取されるスキームの確立と、格差の拡大はもっと酷い状況になっている。
日本がひとつの国ではなく、ひとつの会社みたいになって、国民はみんなサラリーマンとそれを支える人しかいなくなってしまった。
政治家の言葉は、すべて経営者のそれだ。
そして国民は、公務員の削減=公共サービスの低下、福祉の自己責任化、を叫ぶ政治家を応援している。
神のいない国、無神論が許される国、日本。
アメリカで「神に誓って…。」と言う言葉は、日本のそれに比べ100万倍重い。
そんな日本では、お金が宗教になっているように思います。
お金があることが、無条件に偉いことで、地位を約束し、努力と人格まで肯定する事に繋がっていたりする。
小学生が将来なりたいものに、「お金持ち」と言う国。
お金のある無しで、階層が分けられ
下流社会は、このままでは自分が「消費者」としての立場さえ、失う事を怖れ、更に搾取されている。
神のいない事が、こんな状況を生んでいるような気がします。
(別に何かを信仰しようとか、と言う話ではありません。わたし自身、無神論者です。何か信じられるものがない国=世界的にも珍しい国で、信仰の対象がビジネスが生む金しかないのか?と言う話。)
これからGDPが伸びて、デフレを脱却して、グローバリズムの先頭で活躍する日本。
愛国=会社精神に溢れた我々は、それを是とし、努力している。
世界史の中でも経験のない、急激な高齢化と人口減少のなか、
本当にそんなことでいいんだろうか?
そもそも、そんなことが出来るのか?
負のスパイラルに入った中小企業が、立派な社訓だけ語っているようだ。
縮小ソフトランディングのために何をするべきか?を論議しなくていいのか?
全員が公務員の遺産大国ギリシャにも、福祉大国北欧各国にも、エネルギー大国にも、これからの工業立国にも、軍事立国にも、共産主義にもなれない日本で、
私たちはお金だけを信じて生きていくのだろうか?
何か価値観や拠り所を、作らなければならないタイミングのような気がします。
あぁ、何が言いたいか?まとまららない。今日は、よりとっ散らかりました。
ここまで、読んで頂きありがとうございます。
もちろん、わたしはこの国が好きです。
つづく…。
今日も、来てくださって、ありがとうございます。