coconoo doll

素敵な大人になりたいものだ。 coconoo doll は、球体関節人形の制作日記です。あと、ガーデニング DIY エンタメも少し。

火垂るの墓「生きるためのお金について。」

里山の人形師  coconooです。こんにちは。

今日は、いつも以上に、何も考えずに書いています。

わたしはこういう内容の話をしようとか、テーマを経済的な側面で書こうとか、人形制作記以外では、ほとんどブログを書くとき、何も事前には考えていません。なんとなく、お金の話をしようか?と思ったら、いきなり書き始めている。

何故なら、なにも決めない方が、自分が何を言い出すか?どんな感情や思い出が呼び覚まされるか?わからなくてスリリングで、自分が面白いからです。

話がいきなり飛躍しても、まぁそのままでも、読者の方の顔を思い浮かべると、(わたしは読者になっていただいている方の顔を一人も知りませんが…想像上の…^_^。)まぁ、大丈夫だろうと…。

 

わたしの心の師、内田樹先生は、講演でもインタビューでも、この手法だと聞いたことがあります。流石、わたしの師だ。

 

今日はお金の話をしようと思っています。

いつも以上にとっちらかりますが、ご容赦ください。

 

というのも、一昨日人形作家の作品価格の話をしたところ、凄く反応があって、「やっぱり、お金の話って急に現実味を帯びたようで、面白いんだなぁ。」とか、思ったからです。

最低生きていくためのお金。わたしの場合は、掘っ立て小屋はある。借金はない。ので、まず食べてゆくためのお金でしょうか?

 

「お金がないのは、首がないのといっしょ。」とは、わたしの敬愛する、漫画家 西原理恵子先生のお言葉ですが…、それを言っちゃあ先がないので…^_^。

 

もう一人、「どのくらいのお金持ちになりたいですか?」という、不躾にも程があるインタビュアーに対して、ビートたけしさんは、

「う〜ん?そうだなぁ、お腹が空いた時に、レストランでも日本料理屋でも、目に付いた入りたい店に、値段を気にせず入ることが出来ることかなぁ〜。

さらに、一緒に食事をしてくれる相手の分を、ご馳走できたら、オイラそれ以上言うことないね。」

なんだか、生きていくお金ということに対して、なんて素敵な表現だろうか?

 

もう一人。萩本欽一さん、欽ちゃん先生が、昔ドキュメンタリーのテレビ番組で、若者たちに「死にそうにお腹が減っていて、お金は一銭もない。頼る親や親戚や友人も近くにはいない。君たちならどうする?」

若者たちの答えは、皿洗いするんで、料理屋に食べさせて貰う。交番で金借りる…。とかだったりするのに、欽ちゃんは「どうして道をゆく見知らぬ人に奢ってくれと言えない?人家を訪ねて、御飯を分けてくれと言えない?大人を舐めるんじゃない。

彼はかなり強い口調で、本当にその言葉でそう言った。

 

以前、わたしの読書感想が、他の人と随分違うことがままあるという話を書きました。

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それは、映画「火垂るの墓」にも言えます。

戦争の悲惨さ、戦後の厳しさばかりが強調されているように思えるのですが…、それはそれで否定はしません。が、わたしには兄弟の、特に兄の幼さ馬鹿さ加減に涙を誘われます。

最後に兄がヤクザに身を落としても生き抜いて、妹の死を後悔しているという話ならまだしも、お前まで死んでどうする?。

お金が無くなった途端に親戚から見放されたことは不憫だけれど、何故?誰かに頼らない?初めから心を開かないことに決めた?

戦後という状況化ではあれど、わたしには幼いことの罪深さの物語に見えます。

(誰も振り向いてくれないことは、戦争の悲惨さに繋がることはわかりますが…です。

野坂昭如の戦争童話は、なんの註釈も理屈も必要ない。すべての人が読むべき本とはこの本のことだと信じています。凧になったお母さん、読んでみてください。)

 

 

わたしが、明日から一文無しになったらどうしよう…。戦時下でもないので、ご近所に初めはご飯を分けて貰おう。山菜とか、川魚を取って近所に配ろう。畑仕事を手伝おう。今でも、わたしと一緒にお昼をすることを喜んでくれるお婆ちゃんがいる。7人いれば1週間だ。(笑)家があるから、暫くは雨風の心配もない。時々、お風呂には入りたいが、電気やガスはいらないだろう。

 

そうなると、生きてゆくための(最低限の)お金は、わたしの場合、かなり安く済みそうだ。

とまぁ、やっぱり取り留めのない、文章になってしまいました。 最後までお付き合いくださって、ありがとうございます。

 

 

今日も、来てくださって、ありがとうございます。