まっ裸のわたし。 「色っぽい話ではない…^_^。」
里山の人形師 coconooです。
こんにちは。
まず、ブログのタイトルは非常に重要だという記事を読みました。
【閲覧注意】とか、タイトルにいれると、検索が伸びるらしい…。
昨日読者にならせて頂いた坂津さんが書いていました。
(この記事は坂津さんの読者になる前から偶然書いていたものです。)
なるほどなぁ~。とは思いつつ、これはまるで迷惑メールの手法じゃないか?
坂津さんも似たような事を仰っています。
このごろは敵も進歩してきて、【商品発送の確認】とか、【注文完了お知らせメール】とかのタイトルを偽装して送ってくる。(怒)
そんなわけで、(←どんなわけで?)
わたしも「引き」のあるタイトルにしました。(笑)
(わたしは、「引き」とか関係なく、タイトルを考えるのは好きです。自分が何を書くのか?自分自身が最後までわからないので、タイトルは大抵最後につけます。)
今日のお話は
以前、あこう浪士さまがご自分で作られたつり道具を、ブログで紹介されていて、そのあまりの出来栄えのレベルの凄さに、思わずコメントしたところ、
浪士さま
「そもそも、モノを作るというのは自分を晒すことにつながる恥ずかしいこと。そして技量が上がれば上がるほど自分の実力が正確につかめてくるから、恥ずかしさは強まるものです。」
わたし
「(かっこいい…)わたしもモノを作るものとして、わかる気がします。文章もいっしょですね?」
浪士さま
「文章など、真っ裸の自分を人様に晒すようなものです。」
(確かこんなお話でした。浪士さま、ニュアンスが違っていたらごめんなさい。)
わたしは、そうだよなぁ~。と心底感じました。
特に文章は、その人の人格全部が、見る人が見れば透けて見られてしまうものだと思います。
単にどんなことを考え、何が好きか?嫌いか?だけでなく、その人がどんな風に自分のことを考えていて、他人からどう見られたいかまで…。
見る人が見れば、透けて見えてしまうものなんでしょう。
わたしは人形も作っており、どうしても自分の身体を参考にもするものだから、ダブルで露出している…(もちろん同じではありません。でも筋肉や骨のつき方は、やっぱり自分で自分を触りながらつくります。…笑)
どうか、わたしの書く文章が、少なくとも不愉快なものでなければと思うのと同時に、ありのままであること以上の方法を模索するのも、浅薄なことだとも思います。
無理して背伸びしていないか?無用に臆していないか?不必要に媚びへつらっていないか?…。
そのことは、また別のところで‥。
いま、気づいたのですが
このタイトルで集客というのか?ができないと、それはそれでわたしにはショックなことなんだな…?もしかして?
…
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浪士さま、カープ優勝おめでとうございます。
今日も、来てくださって、ありがとうございます。