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素敵な大人になりたいものだ。 coconoo doll は、球体関節人形の制作日記です。あと、ガーデニング DIY エンタメも少し。

公共の場とは何か?「なぜ電車の中の化粧は責められるのか?」

里山の人形師  coconooです。

こんにちは。

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わたしは、あまり化粧をしない。

めんどうよりも、「下手だから…^_^。」が、大きな理由なんですが、

やや派手目の顔つきで、やらなくても、面倒で口紅とアイラインだけでも、しっかりやっても、あまり変わらない。

 

この頃、電車の中で、椅子に座っている女性が、化粧している姿をよく見かける。

女性はとにかく手がかかるのだ。

時間の有効活用なのだろう?と、思いながら、じーっと見てしまう。

そうすると、20分くらいの間に、あれよあれよというくらい、顔つきや雰囲気まで別人のように変わってしまう。

テレビでマツコさんを見て、「あぁ!アイラインって、ああゆう風に引くんだ!」とか、今ごろになって思っているわたしは、ただ驚嘆してしまいます。

 

よく、電車の中ででの化粧は是か非か?ということが話題になっているけれど…。

 

その化粧をする、女性達に聞きたいのだけれど、

たまたま、前の席に同じ会社の人間がいたら、化粧は続けるのだろうか?

電車の中で、オニギリや弁当を広げる女子高生の集団は、

目の前のつり革に、クラスで憧れの男の子がいても、平気でパクつくのだろうか?

(今や、パクつくのだろうなぁ〜^_^。パーソナルスペースが、集団で拡大している気分なんだろうなぁ。)

 

「そんなこと、やるわけない!」というのが、答えであって欲しいのですが…。

 

つまり、不快に思う人というのは

身も知らない他人だから、あんた達にどう思われようが、わたしは関係ないのよ、

関係ある人は大切にしているのよ。という態度が、不快なんです。

公共の場とは、そういうこと。

関係者がいる時にやらないような、私的なことは持ち込むな。という気持ちなんでしょう。

大声でケータイ電話をしてはいけないのは、マナー違反だけではなく、私的なものを持ち込まれることに腹が立つのです。

確かにわたしは、あなたの人生の関係者ではないが、そんなあなたのための、書き割りの風景でもない、ということ。

 

まぁ、時代が変われば、マナーも変わるのでしょうが…^_^。

培われて来た文化や、そこから派生する礼儀や作法は、やはりそれなりの意味がある。

コミュニケーションやコミュニティのあり方が変わったからといって、

直ぐに変えて良いものではないし、変わるものではない。

歴史を学ぶことは、そこに意味があり、年号ばかりを暗記することだと教育されると、本筋を見失う。

NHK大河でも、忠臣蔵でも、時代を現代劇や家族劇にすることに反対はしないが、そこに何があったか?を知ることは出来なくなってしまう。

 

若い人ほど、友人関係やSNSでの関係を大切にし、

そこで否定されると、行き場を直ぐに失うのだそうな…。

それは、世間や公共は「関係ない」からかもしれませんね。

でも、「世間 」や「社会」は、自分の内部だけでなく、外部にも持って置いたほうがいい。

迷惑でなければ良い、その代わりわたしも自由だ。というのは、余りに幼稚だ。

宗教のない国で、倫理観が「世間様」「お天道様」で、やっとバランスが取れていた、そんな危なっかしい国なのだ。

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男の子が、地べたに座っているのもそうです。

まぁ、社会に甘えた地取り競争なんでしょうね?

お猿さんでも、皆が皆、ボス猿になれれば良いのでしょうが…。 

 

珍しい美容関連の記事。 

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では発展させて、公共の場でもあるブログとはなんぞや?って話は、また今度。

 

 

今日も、来てくださって、ありがとうございます。